今年高校生になった生徒さんとある日のレッスンで話したこと
それが、すごく印象的でした。
その生徒さんは、将来自分がやりたいこと、就きたい仕事が以前から明確にあります。
そんな中、学校で担任の先生との2者懇談の中で、進路について聞かれた時に「やりたいことがあるので、専門学校に行きます。」
そう答えたそうです。
先生から返ってきた返事が「国公立大学に行きなさい。」
「学校で、そう言われたんだよね。」
生徒さんからそれを聞いた時に、「あぁ、そっかぁ…」と何とも言えない切ない気持ちになりました。
私が高校生の頃も、大学進学が一番いいこと、中でも国公立大学を目指すのが一番いいこと
そんな空気が流れていたし、それが素晴らしいことのように言われていました。
それは、今こうして時代が変わっても、そこは変わっていないんだな
例え、自分のやりたいことがあっても、この仕事に就きたいという目標や夢があっても、その仕事のための学びよりも、まずはとにかく国公立大学を目指しなさい。
そうやって言われちゃうんだな…
なんだか悲しいな
話を聞いた私でも、こんな気持ちになるんだから、言われた生徒さん本人だってショックだったり、自分の夢を否定されたように感じたかもしれません。
でも、じゃあその先生が悪いのかと言ったら、そうじゃない。
学校の先生は、ただ先生の仕事をしているだけ。
先生から見て、クラスの生徒さん達の将来を考えて一番いいと思われる提案をしているだけ。
だけどそこには、生徒さん本人の気持ちはあるのかな
国公立大学に行くことさえできたら、幸せになるのかな?そんなわけはないよね。
自分の意思で「こうしたい(○○になりたいから、専門学校に行きたい)」
そう言った生徒さんの気持ちを一旦は受けとめてくれたのかな。
そんな思いを感じました。
繰り返しますが、「国公立大学を目指しなさい」と言った学校の先生が悪いわけではありません。
私がその話を聞いて生徒さんにかけた言葉は、「そうだったんだね。学校の先生は、ただ先生の仕事をしているだけだから、自分の本当にやりたいことはあきらめることないよ。自分の人生は、自分のものだから、本当にやりたいことをやっていいんだよ!」
そう伝えました。
学校の先生は、その先生にとって「幸せ」になるための提案だったかもしれません
そして、私が生徒さんに伝えたことが絶対に正しいということではなく、私にとって「幸せ」な人生を生きることの実体験を含めたアドバイスです。
だから、どちらかの提案や誰かの言うことに従うとかそういうことじゃなくて、私たち大人は子ども達、若い人たちにいろいろな可能性や道を示してあげることが大切だと思います。
そして、その生徒さん自身が「国公立大学を目指しなさい」と言われて、心が揺れたのも事実。
「その方がいいのかな」その生徒さんも、そういう言葉をポロっとこぼしました。
子どもや若い人たちは、周りの大人が言うことも素直に受け止めます。
大人たちは、みんなそれぞれ自分の信じていること、正しいと思っていること、その人にとってだったり世間で言われている「幸せの形」を言っているだけ。
もちろん、それを伝えながら、子ども達や若い人達が幸せになって欲しいと思っています。
でも、誰も自分の人生の責任はとってくれません。
自分の人生は自分のものです。
その生徒さん自身が、話している中で「学校の先生は、生徒の国公立大学の合格率を上げたいんだと思う。うちの高校から、どこの大学に何人合格したっていう」
そう言いました。
それを聞いた時に、みんな(生徒さん達は)わかっているんだな、ちゃんと感じているんだなと思いました。
幸せって、「幸せそうに見える形」を手に入れることでなく、自分自身が感じることです。
そしてその幸せって、その人によって違います。
その人それぞれの幸せ、自分にとっての幸せがあります。
それは、人にはわからないもの
自分にしかわからないもの
自分の人生は、自分のものです。
誰かに「こうしなさい」とか、「こうしたら幸せになれる」と言われてそれに従ったとしても、その人は責任はとってくれません。
本当に幸せになるかはわかりません。
その生徒さん自身が、これからどんな選択をしていくかはわからないけど、本当に自分のやりたいことをやってもらいたいな
自分の本当の気持ちを大切にしてもらいたいなと思います☆
自分の人生は、自分で決めていいんだよ!
若い人や子ども達に伝えていきたいなと思います(*^-^*)